
木は、伐られてから強くなる
奈良に、千三百年前の木造建築が残っています。法隆寺です。台風にも地震にも遭いながら、そこに使われた檜は、いまも建物を支えつづけています。
不思議なのは、その木がとうの昔に伐られた木だということです。根も葉もなく、水を吸うこともない。それでも、千三百年ものあいだ役目を果たしている。
宮大工の世界には、**「木は生きて千年、使われて千年」**という言い方があります。山で千年立ち、建物になってからまた千年。木にとって、伐られることは終わりではなく、二度目のはじまりだという意味です。
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伐られてから、二百年
檜は、伐採されたあと二百年ほどかけて少しずつ硬く、強くなっていくと言われています。木材の強度を長期にわたって調べた研究でも、そうした傾向が報告されています。
理由は、木のなかに残った水分と樹脂の変化にあります。細胞のすきまを満たしていた水がゆっくり抜け、繊維同士が締まっていく。同時に、木のなかの成分が少しずつ結晶に近い状態へ変わっていく。木は、乾きながら密になっていくのです。
そのあと、ごくゆるやかに強度は下がりはじめます。それでも千年たった時点で、伐られたばかりの木と同じくらいの強さを保っている。人の一生をいくつも重ねた先の話を、木は当たり前のようにやってのけます。
一枚板も同じです。工房に届いたその日が、その板のいちばん若い日です。
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伐り旬という言葉
木を伐るのに向いた季節を、**伐り旬(きりしゅん)**といいます。秋の彼岸から冬にかけて。木が水を吸い上げるのをやめ、体のなかの水分がいちばん少なくなる時期です。
春や夏に伐った木は水を多く含み、乾かすのに時間がかかるうえ、虫やカビもつきやすい。だから、いい木を扱う人ほど、伐る季節を選びます。
急ぎたい理由は、いつでもあります。それでも季節を待つのは、そのほうが木が長く保つからです。理屈としては、それだけのことです。
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葉をつけたまま、山に寝かせる
伐り倒した木を、枝葉をつけたまま山に横たえておく方法があります。**葉枯らし乾燥**といいます。
切り離されたあとも、葉はしばらく生きていて、水分を蒸散させつづけます。木は自分の葉を使って、自分のなかの水を抜いていく。数か月かけて、幹の水分がゆっくりと減っていきます。
この時間をかけた木は、色が澄み、香りが残り、あとで反りにくくなります。人が熱を加えて一気に乾かすと、たしかに早い。けれど、木の粘りや脂気は、熱と一緒に抜けていってしまう。
一枚板は、製材してからさらに数年、風の通る場所で寝かせます。板の内側と外側で乾き方が違うので、急ぐと必ず、あとから反ったり割れたりして返事が返ってきます。
待つというのは、作業ではありません。判断です。
届いた日から、また時間がはじまる
ここまでの話は、テーブルが家に届く前の時間のことです。
その先の時間は、私たちの手を離れます。朝の光が天板に落ちて、味噌汁の椀が置かれて、子どもがノートを広げて、消しゴムのかすを払う。誰かが肘をついて、少し長い話をする。
木は、そこでもまだ動いています。梅雨には水分を含んでわずかに膨らみ、冬の乾いた空気では縮む。呼吸のようなその動きは、木が死んでいない証拠です。
千三百年前の檜がいまも屋根を支えているのは、木が丈夫だったからだけではありません。木の時間に合わせて扱った人が、そのときにいたからです。
一枚板を選ぶというのは、その続きを引き受けるということでもあります。
急がなくて、大丈夫です。その木はもう、何百年も待ってきたのですから。

