
癖のない木は、一本もない
木は、まっすぐには育ちません。
南から日が当たれば南へ枝を張り、風が吹きつづければ風下へ傾き、斜面に立てば根元が曲がる。幹のなかでは繊維がゆるくねじれ、そのねじれは伐ったあとも残ります。
まっすぐに見える木でも、癖のない木は一本もありません。
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直さずに、組む
法隆寺の再建に携わった宮大工・西岡常一は、木の癖について繰り返し語った人でした。伝えられている考え方はこうです。癖のある木は、癖を直して使うのではない。癖と癖を向かい合わせ、互いに打ち消し合うように組む。
右にねじれる木と、左にねじれる木を組み合わせる。反ろうとする力と、反ろうとする力をぶつける。すると、二本ともが動こうとしたまま、全体としては動かない。押さえつけているのではなく、釣り合っている状態です。
癖組みと呼ばれるこの考え方が、千年を超えて建物が立ちつづけている理由のひとつだとされています。
面白いのは、癖を欠点として扱っていないことです。癖はその木がどこで、どんな風を受けて育ったかの記録であり、消してしまえば強さの根拠まで消えてしまう。だから直さない。
「木は方位のまま使え」という口伝もあります。山の南側で育った木は建物の南側へ、北側で育った木は北側へ。育った環境と同じ向きに置いてやれば、木は素直に落ち着く、という考え方です。
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一枚板は、動きます
ここからは、私たちの仕事の話です。
一枚板は、丸太を厚く挽いた大きな板です。幅が広いぶん、湿気を吸えば膨らみ、乾けば縮む。その量は、幅一メートルの板なら、季節をまたいで数ミリに達することもあります。
この動きは、止められません。止めようとして天板を金物で固定すると、木は逃げ場を失って、割れます。
だから、押さえずに逃がします。
吸い付き桟という方法があります。天板の裏に溝を彫り、そこへ台形の桟を横から滑り込ませる。桟は天板の反りを受け止めますが、接着はしません。木が伸び縮みするとき、天板は桟の上を数ミリだけ滑ることができます。
脚と天板をつなぐ金具にも、丸ではなく長い穴をあけます。ボルトが穴のなかを動けるようにしておくためです。
**動かないようにするのではなく、動いても壊れないようにする。**やっていることは、癖組みと同じです。
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二つとない、ということ
一枚板を見にこられた方が、節や、木目の乱れた部分を指さして「これは大丈夫ですか」と聞かれることがあります。
節は、枝の跡です。その木が枝を張り、葉をつけ、光を集めていた場所そのものです。木目が渦を巻いているのは、そこで枝を支えるために繊維が密になっていたからです。
弱いから渦を巻いているのではなく、強くする必要があったから渦を巻いている。
もちろん、抜けそうな節や、割れの進む可能性がある部分は、私たちが判断して手を入れます。埋めるか、残すか、どちら側を上にするか。そこは私たちの仕事です。
けれど、表情そのものを揃えることはできません。同じ山の、隣り合って立っていた二本でも、同じ板にはならない。
均一なものが欲しければ、均一につくられたものを選ぶほうが、確実です。それは正しい選び方だと思います。
そのうえで、もし。
ねじれながら二百年立っていた木が、いま自分の家の真ん中にあって、これから家族の時間を受け止めていく——そういうもののほうがいいと感じるなら、一枚板はその感覚に応えられるものです。
癖のある木ほど、扱いには時間がかかります。けれど、癖のある木ほど、あとから代わりが見つかりません。

